トランスジェンダーというテーマを扱いながらも、「当事者」と一括りにするのではなく、その中にも様々な想いや価値観、立場の違いがあり、グラデーションが存在していることを描こうとされていたのが印象的でした。
当事者の方々が制作に関わられているからこそ、単なる説明的な内容ではなく、実感を伴ったリアリティがあり、作品に込められた想いも伝わってきました。
また、まだ理解や関心が少ない方々にとっても、この作品をきっかけにトランスジェンダーについて考えたり、周囲の人と話し合ったりする入口になる作品だと感じました。上映後に対話が生まれるタイプの映画だと思います。
加藤睦望さんも、感情の振れ幅の大きい難しい役をとても真摯に演じられていて、喜怒哀楽の変化や葛藤がしっかり伝わってきました。主演として作品を背負おうとしている姿勢も印象的でした。
本日は貴重な機会をありがとうございました。
6月28日の公開も応援しております。
岩松あきら(三河映画)
「この物語では、絡み合う複数の複雑な問題がリアルに描かれている。一筋縄ではいかない、一朝一夕では解決しない問題ばかり。それらを現実のものとして受け止め、思考や対話を深めてほしい。」
水野優望
当事者同士だからといって全てを理解し合えるわけではないし、身近にいる家族だからこそ理解できないこともある。ただ、それでも、互いの異なる人生に向き合いながら共に生きていく。
そんな、きれいにまとまらない人間らしい関係性の愛しさと歯痒さがギュッと詰まっていました。
トランスジェンダー/人間が持つ多層性を「家族」を通して描き出した、比類なき作品だと思います。
また、この映画は「直接描かなかった」部分の意味が非常に深い作品でもあります。
ぜひ、その余白にも想いを馳せながらご覧いただきたいです。
勝又栄政
この作品は、トランスジェンダーに焦点を当てた数少ない映像作品だが、だからといって「トランスジェンダーとはこういうものだ」という説教じみた主張は一切盛り込まれていない。
なぜか。
それは、一口にトランスジェンダーと言っても実に多様であり、周囲の人の受け止め方もまた様々だからだ。
人はどうしても、物事に答えを出したがるという認知上の特性を持っている。しかしそれこそが、トランスジェンダーが自分を確立し、生きていく上での大きな困難になっている。そしてこの問題は、当事者同士の間でも例外なく起こりうることだ。
映画には複数のトランスジェンダー当事者が登場するが、それぞれが本当に個性を持った一人の人間として、自分を生きている。
住んでいる場所、友人、コミュニティの有無。そうした違いの中で、自分を確立しつつある人もいれば、まだ揺れの中にいる人もいる。
私が常日頃から感じている、トランスジェンダーとして生きる上での目に見えにくいハードルを、「お説教」としてではなく、観た人が自然に感じ取れる形で描いた作品だ。
この映画は、観る側にも能動的な姿勢を求める。しかしそれに応えられた人は、トランスジェンダーの生き様について、確かに何かを知ることができると思う。
ぜひ、決めつけずにご覧ください。
NPO法人 MixRainbow 理事長 みのり
トランスジェンダーあるあるが散りばめられたこの作品は「私たちの物語だ」と感じさせてくれる。
友人や家族はもちろん、身近にはいないと思っている人にも、当事者の幅広さや多様性を知る上で是非観てもらいたい。
新設Cチーム企画 塩安九十九
「トランスジェンダーであることには、決まった道も正解もない。大切なあの人のこれからは、私たちの想像に委ねられている。その未来を、血の通ったものとして想像することができるかは、この映画を観た私たちひとりひとりに問われているのだと思う。」
高井ゆと里
『人が自分自身や他者と和解していく時間の物語』
「お父さんが初めて今の名前で呼んでくれた」
このシーンは多くのことを物語っている。
妊娠の知らせを受けた30数年前のある日、お父さんは初めての我が子にいろいろな未来を夢みながら、不安と喜びと期待と責任と決意を強く心に抱いたのかもしれない。
その気持ちが大きく強いからこそ、女性として生きている我が子の姿は、己の想像や期待を無惨にも切り裂く刃となり、心は行き場を失う。
そんな自身の心を守るため、過去にしがみつきながら長い間一人思い悩んでいたのだろう。
そして、ようやく自身の気持ちを消化して、勇気を出して少しずつ歩み寄ろうとした、そんな気持ちが現れたシーンだ。
今の名前で我が子を呼べなかったとは、そういうことなのだ。
そして、今の名前で我が子を呼ぶとは、そういうことなのだ。
そんな父親の人生模様が凝縮された瞬間のなかに、この映画全体に共通するテーマが見えてくる。
真由(主人公)の友人すーさんも、真由やトランスジェンダーという言葉を通して、ようやく性別に関する自身のモヤモヤとした葛藤や自己像を言葉にして発することができたのだろう。
それは、周りが期待する記号としての「トランスジェンダー」とは異なるかもしれない。しかし、すーさんにも積み重なっていた内的体験は確かにあったのだ。
地方の町の片隅で、その内なる葛藤と、長いあいだ一人寡黙に戦ってきたのだろう。
一人一人のなかに、人生の厚みがあるのだ。
そして、時間がかかるかもしれないが、やがて自身を許し、相手を受け止め、共に新たな一歩を踏み出す日が訪れる。
その先には、柔らかな希望の光が差しているということを、不意に思い出させてくれる。
西田彩
トランスジェンダーはこういうもの、本物、偽物…そんな言葉が飛び交うSNSを見ていて、ずっとモヤモヤしていましたが、この映画を見てすっきりしました。トランスジェンダーも十人十色。置かれている状況も違い、ひとりひとりそれぞれの思いがある。そんなことを教えてもらいました。何度も見たい映画です。見るたびに、違う発見がありそうです。
VEN
「何気ない日常」というけれども、誰もが簡単に手にいれられるものではない。都会と地方の差、コミュニティの有無、手術について、親のこと……トランスジェンダーのなかにも違いがあり、多様性がある。
そして、共に生きている。そのことを一緒に考えよと呼びかけてくれる映画だ。当事者である監督の河上りささんをはじめ、当事者が主体となって丁寧につくった、その実践そのものが心に響いたし、映画が多くの人に届いてほしい。
松尾亜紀子(エトセトラブックス代表、編集者)
すーさんの言うこと、刺さったなぁ〜。
この映画では東京と地方だったけど、地方の中にも格差があるってことを自分ごととして感じました。
相談に来てくれる当事者の人(特に若い子かな)のことを、わかってやりたい、わかるはずって前提が自分にもあって…。わかったフリして自分の好みを押し付けたこと。多分、あっただろうなぁって。でも、そんな自分も必死で生きてきて、今もあっぷあっぷで生きていて。
ごめんって思いながら、それしかできず。この先も、同じかもしれず。
本当に…愚かであって尊い。この言葉に救われた気がしました。
ふたりが笑い合えてよかった。
すーさん、広い都会で仲間に会えると良いね。
いろんな生き方に出会って、肩の力が抜けると良いね。
素敵な映画をありがとう。
浜松TG研究会 代表 鈴木げん
多様な性のありようを想定しない社会は、「T」として生きる人たちを分断し、孤立させてしまう。
私たちの性と生はもっと複雑で豊かであることを、トランジット・デイズが伝えてくれる。
サッフォー 山田亜紀子
この作品は自分の経験の物差しをいったん置いて、相手のあり方をそのまま受けとめ直す物語だと感じました。
「自分はこう乗り越えたから」「こうすればうまくいくはず」という言葉は、時に相手の現実や痛みを見えなくしてしまう。
当事者同士でも、むしろ当事者同士だからこそ深く突き刺さることがあるということを、この映画は丁寧に描いていました。
今回、私がいちばん胸に残ったのは、
「身近に理解しようとしてくれる人がいることが、どれほど人を救うか」
ということでした。
誰もが「途中」にいることを認め合える社会に近づくために、多くの方に届いてほしい映画です。
特定非営利活動法人カラフルブランケッツ理事長
井上ひとみ
映画『トランジット・デイズ』を見て、若いころの自分を思い出した。
僕は以前自分がイメージしていた「典型的なゲイ像」と自分自身との違いに悩み、「自分は何者なのか」と苦しく感じていた時期があって、映画の登場人物たちの葛藤にとても共感し、若い頃の自分を見ているような気持ちになりました。
今はLGBTQ+について知る機会が増え、さまざまなセクシュアリティが知られるようになったことで、自分がどのセクシュアリティか当てはまりやすくなったけど、、このセクシュアリティだからこうだのように決めつけてほしくはなくて、どんなセクシュアリティであっても、ありのままの自分で暮らせる社会になってほしいと感じました。
この映画を多くの方に見ていただくことで、トランスジェンダーやその他のセクシュアリティの中にもそれぞれグラデーションがあって、
そして、いろんな生き方があるってことを知っていただきたいです。
ぼくらの移住生活
同じ境遇の仲間たちが一丸となって、一生懸命にこの映画を作り上げた姿そのものに、何よりも深く心を打たれました。
物語を通じて強く感じたのは、私たちが日常で発する言葉の重みです。「良かれと思って放った何気ない一言が、大切な人の可能性を奪っていないか」――自分自身のあり方も、改めて優しく、そして深く問いかけられた気がします。
挑戦することの美しさと、人を思いやることの真摯さが詰まった、大切な一作です。
乙女塾 西原さつき